Eriko♡の「なりたい私になる」Blog

Erikoが、苦しみながらもなりたい私を見つけ、なりたい私になれるまでを綴るブログです。 完全に私的なコラム・記録であり、何かの思想に傾倒しているものでも、何かをお勧めするものでもありませんので、ご安心ください。

継続は力なり

こんばんは、Erikoです。

 

「継続は力なり」

この言葉を常々かみしめています。

 

というのも、自分で資格の学習をしている日々でありながら

なかなか毎日コンスタントに続けられない自分がいます。

 

時間の使い方をあやまったときは本当に悔しく、

「あぁ、今日もまた無駄な時間を過ごしたなぁ・・・」

と、自己嫌悪に陥る毎日です。

 

これから仕事・育児・勉強とフルコースになり、余裕がなくなります。

少しでも隙間の時間に「勉強」して

なんとか毎日学習を継続したいのですが、

隙間時間の「気づいたらスマホしてた」

これが本当に恐ろしい。

今一番気をつけていることです。

 

また、ブログについて。

正直、少しペースを落とすかもしれませんが、

継続できるように日々の心の整理に使っていきたいと思っています。

 

苦しみながら継続したその努力は、

必ず実を結ぶと信じて、突き進むしかないのでしょう。

 

Eriko

平成最後の平日

 

おはようございます、Erikoです。

 

今日は2019年5月26日金曜日、つまり、平成最後の平日なのです。

 

「平成最後」という言葉が街やTwitterでも躍っていますが、

たしかに、いよいよ感ありますね。

 

平成4月27日,28日,29日,30日・・・令和元年5月1日・・・

 

天皇陛下が退位されるという、貴重な時代の移り変わりを見ることができるのは、

個人的にとても楽しみです。

これまでのように悲しいことと重なるのではなく、

さぁ、みんなで新しい時代を祝いましょう!というムードですから。

 

退位され、即位される。

式典に次ぐ式典。

新しい時代の幕開け。

 

普段はテレビをつけないErikoも、

この連休ばかりは、テレビをつけていると思います。

 

そして、この新しい時代に先立ち、

私はこれから何ができるだろう?と考え抜いてきました。

そろそろ答えが出そうです。

早速5月から、走りだせそうです。

 

 

皆さんにとって、今日いちにちが

充実した素晴らしいイイ日となりますように。

適職って?

こんにちは、Erikoです。

 

皆さん、今のお仕事に誇りを持っていますか?

あこがれていた仕事ですか?

これからやりたい仕事はまだまだありますか?

 

自分には何が向いているんだろう?と思ったとき、

適職診断をやります。

 

今日もふと、やってみました。

 

ENTP型の適職 | 適職診断16

 

どうでしょう?

 

私は困っている方の悩みや問題を、「自分のスキルで解決したい」という希望を持っています。

自分の裁量が大きいほうがよりやりがいを感じるタイプなのです。

 

そのための資格だしそのための、コミュニケーション力です。

目標を見失わず、頑張りたいなと思います。

 

Eriko

 

三日坊主

こんばんは、Erikoです。

 

私は日頃何らかの勉強を日課としています。

でも、基本的に「熱しやすく冷めやすい」たちなので、

興味がなくなったり、メリットが失われれば、

途端にやる気は低下してしまいます。

そしてそれは割と早く訪れます。

 

そもそも、

単語の学習などの継続的にやらねばならないものについては、

ほぼ三日坊主でした。

 

面白くない、意味がない(と勝手に思ってしまう)ものは、

すぐにやめてしまいます。

 

これまではそうやって無理にでも勉強をしなければならなかったのが、

大人になると、好きな勉強ができるようになってきます。

 

わたしが今取り組んでいるものなんかは、多少忙しくても

時間を何とかねん出して、続けられるんです。

それって、やっぱり「本当に興味のあること、達成したいもの」だからではないでしょうか。

 

今やっている勉強が本当に役に立つものだから

大変な時でもなんとか続けようとする。

 

そっやって勝ち取れたものは、本当に価値がある。

 

 

三日坊主、ある意味バロメーターかもな、と思った日でした。

 

Eriko

みんなちがって、みんないい

こんばんは、Erikoです。

 

日本での社会は、

幼少のころからの教育、とりわけ幼児教育、学校教育において

(今でこそ「みんなちがってみんないい~♪」

と歌が流れるほどには緩和したかもしれませんが、)

「出る杭は打たれる」の思想により、

何か一つでもみんなと違う外見や行動・言動があった者には、

容赦なく攻撃をする社会であると思っています。

社会問題にもなった「いじめ」。

最近ではSNSの普及により「ネットいじめ」というのも出現しました。

いじめで命を絶ったひとは数知れず。

学校社会だけでなく一般社会においても同じです。

 

私の小学校時代は、いじめがありました。

女子同士で、です。

ケンカは堂々と、派手にやってました。

でも、いじめは、周囲が見ていないところで行われていました。

トイレの個室に入ったとき、彼女は上から水をかけられていました。

上靴はいつも、隠されていたので一緒に探しました。

 

その彼女は、小学校3年のころに転校してきました。

さらに、言語の障害がありうまくしゃべれなかったのですが、

架空の友達がいて、いつも空に向かって話を展開していました。

主に3つの原因で、

男子にからかわれ、クラスの女子からいじめられていたのです。

わたしは家が近く通学路も一緒だったので、たまに一緒に帰っていました。

一緒に帰っているときに私まで嫌な言葉を投げかけられたり、

学校で指摘されたこともありました。

 

わたしは彼女の家にも遊びに行きました。

愛情豊かできれいなお母さん、優しいお兄さん。

本当に素敵な家族でしたし、彼女も心優しかった。

でも日本の学校社会は「他人と違う」ことを許しませんでした。

 

同じ中学に上がり、彼女は一生懸命頑張っていました。

それでも、言葉がうまくしゃべれず、勉強も人並みにできなかったという理由で、

中学でもいじめられました。

かといって、そのころのわたしは弱かった。

私一人で阻止することもできず、ずいぶん悔しい思いをしました。

彼女と一緒に帰るときにたくさん話を聞いてあげたし、

わたしも自分の話をしました。楽しい時間だったと思います。

そのうち、ひっそりとお父さんの仕事の都合で隣町に引っ越したそうです。

 

数年前、偶然隣町のモールで親子に会った時、

とても元気そうでした。仕事にも就いて彼女なりに頑張っているようでした。

それがきっかけで、わたしは遠い記憶をより戻したのです。

今でも心が痛みます。

今考えると、下手な正義感だったかもしれませんが、

わたしなりに精一杯彼女の役に立ちたかった。

 

このようにいじめられる子どもはいくらでもいると思います。

自分は悪いことしてないのに、

転校してきただけなのに、

なぜ?なんで?

 

教育者ではないので学校教育については親目線でしか語れませんが、

何か困ったことがあったら駆け込む、相談する環境を作り上げること、

被害者側のケアはもちろん必要ですが、

加害者側の心理思考にならないための、基礎教育を、

〇〇の時間とかではなく、もっとナチュラルに行う仕組みを作って実践するべきだと思っています。

 

日本で生まれ育ったものとして、

凝り固まった偏見にも似た固定観念がわたしにもあります。

だから時々、自省する。

そうすると、世のなかで皆が気にしているあれこれが、およそ気にならなくなってきたのです。

それらはすべて、自分で自分に鎖をつけているようなものです。

みんな同じようにしておかないといけない、だなんて

まさに「世間体」です。

わたしは私。これで何が悪いのか。

 

子どもが生まれて、いろいろと考えることが多くなってきました。

「みんなちがってみんないい」

このことを自分でもきちんと子どもに教えていける大人、親にならなきゃと思っています。

 

Eriko