みんなちがって、みんないい
こんばんは、Erikoです。
日本での社会は、
幼少のころからの教育、とりわけ幼児教育、学校教育において
(今でこそ「みんなちがってみんないい~♪」
と歌が流れるほどには緩和したかもしれませんが、)
「出る杭は打たれる」の思想により、
何か一つでもみんなと違う外見や行動・言動があった者には、
容赦なく攻撃をする社会であると思っています。
社会問題にもなった「いじめ」。
最近ではSNSの普及により「ネットいじめ」というのも出現しました。
いじめで命を絶ったひとは数知れず。
学校社会だけでなく一般社会においても同じです。
私の小学校時代は、いじめがありました。
女子同士で、です。
ケンカは堂々と、派手にやってました。
でも、いじめは、周囲が見ていないところで行われていました。
トイレの個室に入ったとき、彼女は上から水をかけられていました。
上靴はいつも、隠されていたので一緒に探しました。
その彼女は、小学校3年のころに転校してきました。
さらに、言語の障害がありうまくしゃべれなかったのですが、
架空の友達がいて、いつも空に向かって話を展開していました。
主に3つの原因で、
男子にからかわれ、クラスの女子からいじめられていたのです。
わたしは家が近く通学路も一緒だったので、たまに一緒に帰っていました。
一緒に帰っているときに私まで嫌な言葉を投げかけられたり、
学校で指摘されたこともありました。
わたしは彼女の家にも遊びに行きました。
愛情豊かできれいなお母さん、優しいお兄さん。
本当に素敵な家族でしたし、彼女も心優しかった。
でも日本の学校社会は「他人と違う」ことを許しませんでした。
同じ中学に上がり、彼女は一生懸命頑張っていました。
それでも、言葉がうまくしゃべれず、勉強も人並みにできなかったという理由で、
中学でもいじめられました。
かといって、そのころのわたしは弱かった。
私一人で阻止することもできず、ずいぶん悔しい思いをしました。
彼女と一緒に帰るときにたくさん話を聞いてあげたし、
わたしも自分の話をしました。楽しい時間だったと思います。
そのうち、ひっそりとお父さんの仕事の都合で隣町に引っ越したそうです。
数年前、偶然隣町のモールで親子に会った時、
とても元気そうでした。仕事にも就いて彼女なりに頑張っているようでした。
それがきっかけで、わたしは遠い記憶をより戻したのです。
今でも心が痛みます。
今考えると、下手な正義感だったかもしれませんが、
わたしなりに精一杯彼女の役に立ちたかった。
このようにいじめられる子どもはいくらでもいると思います。
自分は悪いことしてないのに、
転校してきただけなのに、
なぜ?なんで?
教育者ではないので学校教育については親目線でしか語れませんが、
何か困ったことがあったら駆け込む、相談する環境を作り上げること、
被害者側のケアはもちろん必要ですが、
加害者側の心理思考にならないための、基礎教育を、
〇〇の時間とかではなく、もっとナチュラルに行う仕組みを作って実践するべきだと思っています。
日本で生まれ育ったものとして、
凝り固まった偏見にも似た固定観念がわたしにもあります。
だから時々、自省する。
そうすると、世のなかで皆が気にしているあれこれが、およそ気にならなくなってきたのです。
それらはすべて、自分で自分に鎖をつけているようなものです。
みんな同じようにしておかないといけない、だなんて
まさに「世間体」です。
わたしは私。これで何が悪いのか。
子どもが生まれて、いろいろと考えることが多くなってきました。
「みんなちがってみんないい」
このことを自分でもきちんと子どもに教えていける大人、親にならなきゃと思っています。
Eriko